若松人形館便り
2013年5月
4月13日まで幕末のお雛様を飾っていました
汐汲み人形です。在原の業平の兄、行平(813〜893)が須磨に流された時、多井村の村長の娘、もしほとこふじが汐汲みに来たのを見初め、松風、村雨と名づけ共に暮らしたが、三年後許されて都に帰る時「立ち別れいなばの山の峯に生ふる松とし聞かば今帰りこむ」の歌を残し、愛用の烏帽子と狩衣を松の枝に掛けて立ち去ったと云う由来があるそうです。
笙や火焔太鼓、琴を奏でています
鶴亀、胡蝶、青海波、五節の舞など宮中の舞や浦島、雀のお宿、羽衣など昔話をモチーフにした脇飾りがあります。
胡蝶の舞
鶴亀の舞
五人官女
七人官女もいるそうですが、まだ巡り合いません。
お酌をするのは若い振袖を着たお嬢さんですが、お酒を勧めるのは心利いたる既婚者のようで眉を落とし、留袖を着ています。中央の官女さんは立膝をしてお酒を勧めています。
丸平さんの御殿です
仕丁が好きで沢山集めています
表情も良いですが、酒盛りをしている者も居ます
この仕丁さんに内掛けを着た官女さんが付いて、「みかき守り衛仕の焚く火の夜は燃えて昼はきえつつものをこそおもへ」と箱に書いて有りました。
五人囃子
桜、橘は新しいものに替えました。時代の経ったものは色も褪せていて、なによりハラハラ散るからです。
美男、美女。業平と小町です。
浦島太郎と乙姫様
正月、初めての子の日に、野に出て小松を引いたりして遊びました
京都 須賀神社で節分の日に恋文を売り、それを買い箪笥などに仕舞っておくと着物が増えたり、想う人に想われるという慣わしで、現在も行なわれているそうです。
先代萩の政岡、若君、千松
お籠に乗って
平田玉陽さんの作品ではないかと思われる兄妹
桃のり金太郎さんです。凛々しいので是非見に来てください。
飾るのも大変でしたが、仕舞うのはもっと大変でした。寄る年波いつまで飾れるか?
前号の若松人形館便りへ

トップへもどる
若松人形館TOP